平成28年3月27日(日)
25日(金)・26日(土)と続けて演奏会を聴いた。
所感を記す。まずはハルモニア・アンサンブルの演奏会から。
harmonia ensemble 第7回定期演奏会
~F・プーランク無伴奏宗教曲全曲演奏会~
平成28年3月25日(金)
18:45開場 19:15開演
渋谷区文化総合センター大和田 さくらホール
曲目
Francis Poulenc
Exultate Deo, FP 109
Salve Regina, FP 110
Quatre motets pour le temps de Noël, FP 152
Quatre motets pour le temps de pénitence, FP 97
Quatre petites prières de Saint François d’Assise, FP 142
Laudes de Saint-Antoine de Padoue, FP 172
Ave verum corps, FP 154
Messe en sol majeur, FP 89
所感
意欲的なプログラム
harmonia ensembleは東京で活動する室内合唱団である。日本名曲アルバムなどでテレビ出演も行っていることで有名だ。「日本の合唱文化を継承し、新しい合唱音楽を創造していく」という目的をもって活動している。
今回の演奏会はフランシス・プーランク無伴奏宗教曲の全曲を演奏するという珍しいプログラムである。
この演奏会のプログラムを見て、最初に考えたのはプーランクの合唱作品について、どのような曲があるのかということであった。当然ながら筆者はフランスの作曲家プーランクが残した多くの作品のなかで合唱のみの宗教曲がどれほどあるかを考えたことはなかった。今となってはプーランクの合唱作品といえばグローリアやスターバト・マーテルを思い浮かべるが、筆者が初めて聴いたプーランクの合唱曲は「小さな声」という世俗曲であった。無伴奏宗教曲はすべて知っていた訳ではなく、今回の演奏会で初めて聴く曲もあった。
この演奏会はコンセプトがとても魅力的だ。プーランクらしい曲が詰まった、意欲的なプログラムである。以下感じたことを記す。
指揮者、福永一博
今回の演奏会では団長・コンサートマスター福永一博氏の指揮が格段に上達していると感じた。立って指示を出すだけではなくコミュニケーションを取っている。指揮自体も見やすい。
男声陣の充実
今回一番楽しかったのは男声合唱だ。高音から始まる旋律が多い始まるプーランク。やや固さも感じたが高い精度で歌っている。内声の音程が悪かったが、もしかすると筆者の気がつかないところでハーモニーが破綻しており、音を入れるべきところがなくなっていたのかもしれない。だが全体の完成度は総じて良かった。とくにLaudes de Saint-Antoine de Padoueの2曲めと3曲め中盤くらいまでが充実していた。少なくとも一階席前方ではよい音楽で満たされた空間が創出されていた。
声の持っている性質だけで考えるとharmonia ensembleの男声は決して恵まれているとはいえないだろう。どんな高音でも高らかに歌い上げるテノールはいない。スカッと爽快なテノール…!という演奏は彼にはできない。また、地響きのような低音を鳴らすこともできない。声質そのもので観客を魅了するほど、素質に恵まれた声の持ち主はいない。
そうだからこそ彼らは特筆に値する。彼らは地道なトレーニングによって育まれた卓越なアンサンブル技術でそれを補っている。よく訓練された歌声が音楽の魅力を創る。それを体現しているのが彼らだ。それを再認識させられた演奏だった。
今回の演奏会で気になったこと
日本語っぽさ
ときより聞こえる日本語イントネーション。歌っているのはラテン語だったりフランス語なのだが、いわゆる「日本語」のような浅い声が聞こえたのは残念であった。
内声について
アルトは顔の表情が渋い方が多い演奏であった。アルトは指揮者や観客とのとのコミュニケーションを大切にしているという印象だったが、今回の演奏会では非常に内向きであった。
テノールは、高音でプロとは思えないような幼稚な声が聞こえることがしばしばあった。あさってな方向の音色が出るときは、男声だけで歌うときよりも体が硬くならないように気をつけている印象である。やろうとしていることは間違っていないのだろう。結果的に聞き苦しい声になっており残念だった。次回以降に期待したい。
ソプラノ
前回の演奏会ではソプラノは声のブレンドが良くないと感じた。今回の演奏会ではもっと状況が悪くなっていた。あまり歌えていない、というのが今回の率直な感想である。
プーランクはソプラノに鬼のような歌わせ方をする、ヴァイオリンではないのだから、そんなに毎回高いところから歌わせなくたっていいだろうと思う。
しかし、である。選曲をしたのは彼/彼女ら自身である。日々の研鑽でプーランクに対する理解は筆者などとうてい及ばないはずだ。歌は声帯という不安定な楽器を用いて演奏するものだ。すべてを完璧にすることなどできない。しかし、聴き所を外してしまっては魅力は半減してしまう。優秀だが肝心な時にミスをする人と、普段は手抜きばかりでもここぞという時に頼りになる人なら、後者の方が筆者は好きだ。
気がかりなのは、ソプラノが平凡以下のソリスト集団のようになってしまっていることである。音への執着心を感じない。同じパートを引っ張っていこうというポジティブな歌い方ができていない。そしてパート内で音楽を楽しもうとしていないように感じる。
演奏を聴いた満足度の決め手になるのは内声の出来不出来だが、混声合唱団の技術水準を測るのはソプラノだと思う。否応なしに耳に入ってくるソプラノは「できて当たり前」の世界だからである。ソプラノが歌えていれば、素人耳の筆者でも「いい音楽を聴けた」とひとまずは思える。しかし今のharmoniaのソプラノは声がブレンドされていない。音程も悪い。パート全体の魅力が伝わって初めて個々人の魅力が引き出される。ソプラノは非常に美しい声の持ち主が多く、毎回その声を聴くのが楽しみにしている。しかし、いくら声がよくても基礎ができていなければ、彼女たちの音楽を楽しむことはできない。
普通の合唱団へと変わっていくharmonia
harmoniaがどんどん普通の合唱団になっていく。平成22年の東京都合唱コンクールで前年とは全く異なる質の高い演奏したharmonia。平成23年のBachは心から感動した。
あれから月日が経った。決して彼/彼女らが下手になっているというわけではない。いまでも彼/彼女らの演奏は日本でも屈指の高水準にあるのだろう。だから「成り下がる」のではない。harmoniaが普通の合唱団に変わっていくと筆者が感じるのは、彼/彼女らが目指す「高水準の合唱演奏」という目標の内実が変わってきたのかもしれない。
彼らの魅力は2つあると筆者は考える。
ひとつは音楽の安定感だ。安定感とは、期待を演奏水準を大幅には裏切らないという意味もあるが、ここでいう安定感は声帯を酷使しないことで生まれる安定感である。harmoniaは重厚な響きで歌い、ホールを音圧で支配するような演奏をしない。破綻しない発声の音楽づくりをしている。理屈上では理解しているつもりでも、なかなかできないことだ。どんなときでも力まず歌うのが彼/彼女らの魅力なのである。
もうひとつは声楽アンサンブルとしての魅力だ。つまり、室内合唱による音楽の作り方である。某国のマスゲームや行軍は一種の美しさを感じる。整然と並べられ、それらが一糸乱れずに動く。軍隊のようにひとつの目標に向かっていく指向性を感じる合唱は美しい。機械のような美しさ、造形美を音楽に感じるのは結構なことである。大合唱の音楽芸術を楽しむときには欠かせない要素だ。
しかし声楽アンサンブルとしての室内合唱としての合唱は、音楽芸術の別の側面を表出する。音楽は聴者と奏者がいて成り立つと筆者は考えているが、アンサンブルは奏者に、奏者でであると同時に聴者であることを求める。大合唱が、差し詰め「音楽の神」に対しての音楽であるとするならば、室内合唱は奏者と聴者のコミュニケーションによる芸術表現である。どちらも西洋音楽の記譜法用いて表現する以上、我々の合唱は「神」に捧げる音楽の一形態の枠組みを免れない。
…話が大幅に逸れてしまったので軌道修正する。harmonia ensembleの魅力のは良い発声による安定した音楽と、互いにコミュニケーションをして楽しみながらつくっているアンサンブルだ。しかし両者は今失われつつあるように感じる。
指揮者への依存
何かを失うことは決して悪いことではない。何かを得、何かを失うことは自然なことである。今回の演奏会で最もよくなかった演奏では、福永氏は指揮をしていなかった。福永氏の指揮者としての能力は格段に高くなった。しかし、そのために個々の歌い手は指揮者への依存度が高くなってしまっているのではないだろうか。
今回の演奏会は指揮なしでは音楽の躍動感すら乏しくなっていた。福永氏への信頼が、音楽に対する甘えを生んでいるのではないだろうか。お互いを聴き合うことを福永氏に一任すれば、迷いがなくなり歌だけに集中できる。しかし、それでいいのだろうか。
指揮者の行うべき事は合唱団によって異なるだろう。司令官のような指揮者、旗手のような指揮者、奏者と奏者の潤滑剤としてハーモニーをつくる指揮者。指揮者がどのように機能すべきか正解は一つではない。指揮者自信は音を生み出さない。どう頑張っても、指揮者は音を引き出し、まとめる以上の役割ではない。
進むべき道は
harmonia ensembleのウェブサイトのプロフィールには「指揮者を置かず、メンバー一人一人が自発的に音楽を作り、他のメンバーと意見を交わしあいながら、一つの音楽にまとめていくという独特のスタイルで活動」しているとある。最近の演奏会では、基本的員は指揮者が存在するが、スタイルが変わったたとしても彼らが追求するのは「高水準の合唱演奏」なので全く問題ない。音楽のためにさまざまな事を試みた結果、指揮があるほうが良い音楽を提供できることが多いと彼/彼女らが判断しているのだろう。
そもそも「高水準の合唱演奏」とは何なのかという疑問はある。今回の演奏会でいえばプログラムに記載があるように「プーランクの描こうとしていた音楽」を表現することが「高水準の合唱演奏」なのだろう。表現を受け止めるのは聴者個々人である。たったひとりでも、聴者が幸せな気分で会場を後にすることができれば、その演奏会は失敗ではないと筆者は思う。幸福は数値化できないので「高水準の合唱演奏」とは何であるか、を考えることはあまり意味のあることだとは思えない。それは言葉ではなく音楽表現で示すことだからだ。
結語としては甚だ不十分であるが、福永氏をはじめとするharmonia ensembleの皆様には、奏者が自身に甘えることなく、聴者に媚びることなく、理想の音楽を追い求めて欲しいと願うばかりである。
パンフレットは大変力作であった。演奏会の趣旨とは無関係だが、出典などの記載があれば音楽史を学ぶのにも使えるのではないかと思う。
今回は行きたくなるような演奏会のチラシがたくさん挟み込んであったので以下に記す。
harmonia ensemble 2016年度定期公演ラインナップ
2016年6月 第8回定期演奏会 ロマン派合唱音楽の地平
2016年9月 第9回定期演奏会 柴田南雄誕生100周年記念個展
2016年11月23日(水・祝) 第10回定期演奏会 現代アメリカ合唱音楽の夕べ
2016年12月23日(金・祝) 4th Christmas Concert
2017年3月 第11回定期演奏会 女性作曲家の饗宴
芸術文化振興基金助成事業
Webサイト
ヴォクスマーナ 第34回定期演奏会
Webサイト
2016年3月31日(木) 19:00開演
東京文化会館小ホール
Salicus Kammerchor 第2回定期演奏会
Webサイト
2016年5月21日(土) 千葉公演
2016年5月25日(水) 東京公演
音空 特別演奏会・千原英喜 個展
Webサイト
2016年4月2日(土) 19:00開演
川口リリア 音楽ホール
混声合唱団LOCUS 第19回定期演奏会
Webサイト
2016年4月3日(日) 13:30開演
タワーホール船堀
愛すべき歌~歌い継ぎたい日本の名曲~
Webサイト ※アプリコWebサイトではチケット完売とのこと
2016年 4月16日(土) 14:00開演 明治・大正編
2016年 4月16日(土) 17:00開演 昭和・平成編
大田区民ホール アプリコ 小ホール
澤江衣里ソプラノリサイタル
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2016年4月29日(金 ・祝) 19:00開演
東京文化会館小ホール
VOCE ARMONICA 第6回定期演奏会
WebサイトTwitter
2016年4月30日(土) 18:00開演
京葉銀行文化プラザ 音楽ホール
Tokyo Cantato 2016 クロージング・コンサート
Webサイト
2016年5月5日(木・祝 ) 15:00開演
すみだトリフォニーホール 大ホール
さつき管弦楽団 第11回定期演奏会
Webサイト
2016年5月1日(日) 14:00開演
渋谷区文化総合センター大和田 4F さくらホール
第58回東京六大学混声合唱連盟定期演奏会
Webサイト
平成28年5月7日(土)
東京芸術劇場 コンサートホール
Cantus Animae The 20th Concert つながる魂のうた
Webサイト
2016年5月8日(日) 13:30開演
第一生命ホール
女声合唱団ぴゅあはーと 5th Concert
Webサイト
2016年5月22日(日) 14:00開演
国立オリンピック記念青少年総合センター 小ホール
Brilliant Harmony
Webサイト
2016年6月11日(土) JCDA合唱の祭典
2016年7月7日(木) 27TH ANNUAL CONCERT
2016年8月20日(土) 軽井沢国際合唱フェスティバルサテライトコンサート
2016年10月9日(日) 長野県合唱祭招待演奏
軽井沢国際合唱フェスティバル
Webサイト
Chiba ladies’ choir mille foglie
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