【所感】Gaia Philharmonic Choir 第11回定期演奏会

平成27年12月29日(火)
聴いてから一週間以上が過ぎてしまったが、先週日曜日に聴いた演奏会の所感を。
 音楽がどのようなかたちをとるのが最良なのかは一考を要するが、音程の正確さや響きの豊かさを求めるのであればCDを聴いて我慢するか、VPOのような一流のオケの演奏会にでも行くべきだろう。また歌い手の感情を楽しみたいのであれば中高生のコンクールでも聴きに行けばよい。何か一つの基準を求めて演奏会に足を運ぶと、裏切られてしまうことが多い。今回も上質な合唱を求めに行ったところ見事に裏切られてしまった。
 だが、生で聴く合唱の楽しみ方は上手い演奏を聴くだけではないことをあらためて考える機会を与えてくれた演奏会だった。

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Gaia Philharmonic Choir 第11回定期演奏会

2015年12月20日(日)13:30開場 14:00開演
渋谷区文化総合センター大和田 さくらホール

Gaia Philharmonic Choirとわたし

 東京を拠点に活動する混声合唱団、ガイア・フィルハーモニック・クワイア。作曲家松下耕のお抱え合唱団の一つ。東京都合唱祭ではほとんど毎年聴いていたと思うが、定期演奏会を聴きに行くのは今回が二度目であった。
 前回聴いたのは第3回定期演奏会。女声版初演を聴いていたある組曲を聴くためだった。混声合唱とピアノのための『この星の上で』を聴くために行った。目的であった『この星の上で』も非常に良かったと感じたが、曲自体は女声版の方がしっくりとくる気がした。それよりも第3回定期演奏会で感激したのはフィリピンの指揮者ジョナサン・ヴェラスコが指揮をしたフィリピンの合唱作品群だった。筆者は楽曲・演奏のどちらからも鮮烈な衝撃を受けた。それから10年あまり、イベント等以外ではガイアの演奏を聴いていなかった。筆者の印象ではガウディ=耕友会の特に実力のある人で構成される精緻なアンサンブルの音楽集団。繊細な表現も大胆な表現も表現できる日本を代表する合唱団。ガイア=大人数のならでは魅力を堪能できる混声合唱団。模範的な演奏水準を有している。彼/彼女らの演奏はリファレンスすべきもので、選曲やその歌い方から見習う物が多い。実力派合唱団。という印象であった。

演奏について

1st stage Sügismaastikud /2nd stage 北欧作品
 見事なまでに期待を裏切られた演奏
松下耕といえば合唱に関していえば、世界を代表する作曲家の一人である。彼の合唱団に求めるのは譜面通りに演奏できることは当然として、彼の指揮をする合唱団を聴きにいくときは彼にしかできない「何か」を期待する。
 第1ステージ、第2ステージの曲目は斬新さ、目新しさがあるわけではない。そうであるならば必然的に音楽の表現に対して期待するしかない。だが、ガイアの合唱は不安定で便りの無い音の集合だった。2nd StageのStarsは昨年の全国大会でscatola di voceが演奏していた曲で、楽しみにしていたのだが…
 過剰に期待していたということは否定できないが、それにしてもお粗末な演奏だった。わたしは芸術評論家ではないので、面白くない演奏をどう面白くなかったかをいちいち記そうとは思わない。しかし再び聴きたい演奏ではなかった。
3rd stage 混声合唱組曲『若い冬』
 前田先生のピアノが凄かった、対して合唱団はオマケのようだった。松下耕の人間的な魅力も感じた。でもそれだけじゃなかった。曲の魅力が詰まっていた。
 相変わらず合唱は貧弱だった。よく○○市民合唱団が「水のいのち」を演奏…といえばおわかりいただけるだろうか。しかしこのステージは合唱音楽そのものを楽しむことはできなかったが、聴衆として聴くに値する価値はあった。
 まず、曲が非常に素晴らしい。退屈に感じることすらできない合唱にも関わらず、 柳田孝義『若い冬』は音のつくりかたにどこか安心感のある曲であった。全く聴いたことの曲で、目新しさは皆無だ。しかしここの旋律の美しさなど、音楽を構成する部分的な良さではなく、全体の構造がよく練られているいるのかもしれない。専門外なのでなんともいえないのだが…
 松下耕氏の初期の作品といえば『輝いて』等のピアノが煌びやかな曲を思い浮かべる。『若い冬』という作品は松下氏が聴いた当時どのような感動を得ることができたのか筆者はわからない。松下作品を聴いたり読んだりすると、ものすごく難しい曲でも実は非常にシンプルな表現をしていることが多いように感じる。筆者のような凡人には到底理解できないのであろうが、松下氏の感性は求めている音楽に対して、教科書通りのオーソドックスな美的感覚に従い表現しているのかもしれない。アプローチの多彩なので新しい音のように聴こえるが、それは鳴っている音の見え方が新しいだけなのだ。いや、素人考えはよくないのでやめておこう。とにかく柳田孝義『若い冬』は歌われるべき曲である。これだけでも「指揮者」松下耕の素晴らしい功績だと思う。
4th stage 混声合唱とピアノのための四つの日本民謡『北へ』
 松下耕作曲。松下耕氏Webサイトによると、一番古い曲は「ソーラン節」で平成元年の作である。平成3年に制作されたこの組曲は毎日多くの合唱団によって演奏される松下作品のなかでも、殊に演奏機会の多いものである。
 しかし、演奏機会が多いのは「俵積み唄」等を単曲で演奏する機会があるということで、組曲前曲を演奏する機会はそう多くはないかもしれない。松下作品の中でも非常に古い曲であり、『同声合唱のためのコンポジション「日本の民謡 1』」』 や、『 女声合唱のための組曲「子猫物語」』等よりも前に作曲された組曲である。
 このステージの演奏は楽しい演奏であったと思う。演奏は相変わらずイマイチであった。「俵積み唄」からは練習回数が多いのか、歌に自信を持って歌っているように感じられた。仮にこの演奏会のCDが出されたとしても、他人に薦めたい演奏ではないと思う。CD音源はGAUDIの松下耕:混声合唱作品集 Vol.1 民謡を聴けば良い。
 だが、ナマモノの演奏を聴くことに喜びを見いだせる人間であれば、このステージの演奏は悪いものではない。自作自演の演奏では珍しく、作曲者松下耕ではなく指揮者松下耕のエネルギーに満ちた演奏を聴くことができたと思う。
 筆者は松下耕氏の自作自演演奏はあまり好きではない。松下氏はKocsár Miklósの作品を演奏すると一流指揮者になるが、自身の曲を演奏すると感情だけで歌わせるようなってしまうのだ。指揮も合唱も楽曲の持つ力に引っ張られて、楽譜に書かれた繊細な松下耕の音楽が全てすっ飛んでしまう。少なくとも筆者にはそのように感じられる。
 しかしこの日の松下耕氏は違った。初めのステージから感じたことではあるのだが、この日の松下氏は音楽に対して直向きさが段違いだった。もちろん普段の松下氏が不真面目という訳ではない。しかし、耕友会の練習で見せる指導者としての姿や、各種演奏会、講演会での氏の姿とはまるで異なっていた。もしかすると体調が良くなかっただけかもしれない。あるいは合唱団とのコミュニケーションが不足したまま本番に臨んでいるのかもしれない。完成とはほど遠い水準で本番を迎えたからかもしれない。理由は定かではないが、この日の彼は目の前の合唱団に対し彼らのレベルや音の鳴り具合に合わせて丁寧な指示をだしていた。そしてなにより楽曲に真剣に向き合っていた。自身の過去の曲を演奏することの気恥ずかしさを述べていた彼は、過去の偉大な作曲家の作品を扱うかのように、渾身の力を込めて自身の作品に向かっていた。これが筆者が観たかった指揮者松下耕の姿である。氏自身のうちで鳴っているイデア的な音楽に対して振るのではない。指揮者として目の前にいる歌い手達とコミュニケーションをしつつ、いま、ここで創られている音楽を共に織りなす。これが筆者の好きな演奏家=指揮者松下耕だ。
 結果として会場に響いた音楽は最良ではないかもしれない。しかしよい音楽の精神性を、感情ではなく技術で体現することの魅力は存分に堪能できたと思う。
また、アンコールは選曲・演奏共に非常によかった。特に信長貴富編曲「虹と雪のバラード」は是非歌ってみたい。混声合唱とピアノのための「出発の歌」に所収されているようだ。年末にいい曲に出会えてよかった。
関連
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楽譜

松下耕 混声合唱とピアノのための四つの日本民謡「北へ」 Amazon楽天

信長貴富 混声合唱とピアノのための「出発の歌」Amazon楽天(混声版)楽天(女声版)

中田喜直 混声合唱 日本の四季の歌 Amazon

※中田喜直作曲「別れの歌」はおそらく『混声合唱 日本の四季の歌』に所収されているもののピアノ4手版だと思われる。

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