【所感】第70回東京都合唱コンクール 高等学校部門 その2

平成27年9月11日(金)

 コンクールの予想は全て外れた。Aグループは杉学、久我山、桐朋、新宿、国音附…と続くと思ったのだが、全然当たらなかった。

 今回全国行きを勝ち取ったのは國學院久我山。混声で出場していたときとは別の部活なのか、先生は異なり音楽の作り方も以前と全く違う。

 今年の久我山のよさは何といっても音楽の表現力の高さだろう。言葉が音になり私たちに迫り来る。この迫力は高校Aの全国大会でもなかなか聴くことの出来ないレベルだった。深みのある発声のおかげで少ない人数での演奏でもホールを響きで満たすことができた。彼女たちの音には遠近感があった。届きそうで届かない絶妙な距離感のpで観客は久我山の音楽に引き込まれる。その音楽が始まる前の文脈が演奏の評価に直結するコンクール会場では、比較的少ない人数のためmfに物理的な迫力を味わうことはできないかもしれない。しかし彼女たちの情感豊かな声は絶対的な音量の大小ではない音楽空間へと私たちを誘った。

 久我山の課題としてはビブラートがソプラノパートの統制を阻害し、魅力が大幅減してしまうことがあることだった。

 対して杉並学院の演奏は、高校生ができる至って標準的な演奏だったと思う。ここでいう標準とは、高校生における英文標準問題精講くらいの水準だ。課題曲では言葉は聞き取りやすく、演奏の精度も悪くない。盛り上がりにかけるとかいろいろいおうと思えばいくらでもいえるだろう。しかし課題曲の趣旨をよく理解し的確に処理している印象。課題曲に関しては久我山を遙かに凌駕していたと思う。
 自由曲に関しては、全く面白くない演奏だった。イタリア式のような日本式ラテン語は少々ラテン語の魅力を損ねていた。内声の音程の悪さが目立ち、ときよりa母音が平べったくなることがあった。
しかしだからといって評価に値しない演奏だったとは思わない。音楽の安定感は伝統の良さだ。例年のような少し高めのピッチで響かせる杉学のハーモニーとは異なり、破綻の少ない演奏だったと思う。作品をがガッチリ提示する演奏という印象だ。それ故、教科書的なつまらなさがあったかもしれない。

 久我山と杉学どちらがよかったのか。演奏に吸い寄せられる魅力を感じたのは間違いなく久我山だった。ずっと聴き続けたいと思える演奏だった。だが、課題曲の演奏水準は杉学が圧倒的に上で、基礎力は杉学に軍配が上がるだろうと思っていた。

 演奏の善し悪しというのが何を意味するのかは難しい問題だだが。全国大会でいい成績を取る可能性があるのは久我山だった。純度の高い演奏の杉並学院と、密度の高い演奏の久我山。私のコンクール時点での評価は杉学が上だが、成長見込みを考えると久我山と感じた。
コンクールは現時点での演奏の出来具合で審査すべきものである。審査員のことはわからないが、私はその観点で音楽を聴き、杉学が上だと感じた。

【所感】第70回東京都合唱コンクール 高等学校部門

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