【所感】第69回東京都合唱コンクール 3日目 大学職場一般部門

平成26年9月15日(月)

 昨日は都大会を聴いた。
 食事のため抜けたりしたため全団体を聴いたわけではないが、いくつか気になった団体の感想を記す。感じたことを記すため、演奏者やその関係者にとって心地いいものではないかもしれない。しかし誹謗中傷の意図はないことを理解して欲しい。

演奏についての感想

大学職場一般部門 室内合唱の部

06 杉並学院・菊華混声合唱団

杉並学院(旧菊華高等学校)合唱部のOG合唱団、菊華アンサンブルの女性陣と、現役生、あるいは若手の卒業生で構成されているようだ。
 渕上氏らしい音楽を構築できていた。女声の発声が良く、少人数でもホールをしっかり鳴らしていたと思う。反対に男声は脆弱であった。仮に彼らが全員高校生で、出場していたのが高等学校部門Aグループだったと想定したら、彼らの歌声は全国大会レベルのものであろう。比較的正確な音程、淀みのない発声は評価に値する。しかし今回は一般部門だ。他の団体の男声と比較しても発声の幼さを感じるが、それ以上に団内で男女の実力差が出過ぎていて、非常にアンバランスな印象を受けた。また、男声に限ったことではないが、音楽の大枠というか骨子を造り、それを表現しようとしていたのは伝わったが、パート内で乱れることが多く、粗雑な演奏であったようにも感じた。
 この合唱団に限らず、今回の室内合唱部門は今ひとつの団体が多かった。私が聴いた中では1位でもいいと感じたが、2位だったのはこの粗雑が原因なのかもしれない。  

11 混声合唱団鈴友会 http://www.rinyu-kai.org/

長年東京の合唱会を支えている合唱団の一つ。今年の推薦団体は鈴友会であった。
 可も無く不可も無くな印象で、特に記憶に残っていないのだが、無理のない音楽構成は確かに悪くはなかったと思う。

19 L’Ensemble Tokyoïte “Les Pleiades” http://pleiadestokyo.com/

作曲家の松下耕氏お抱えの合唱団組織、耕友会の一つである男声合唱団。指揮者の斉藤氏も耕友会の別の団体の団員である。
 今回最も期待外れだったのがこの合唱団。この合唱団の、粗暴だがいきいきとしたテノールを期待していたのだが、今回の演奏内容は酷いものであった。
 一番酷かったのは課題曲。彼らは曲を理解して歌っていたのだろうか。それすら疑問に思えてくるような場当たり的な歌い方をしていた。トップテノールは支えのない発声で、互いに声を合わせようとしないため、常にパート内で割れていた。セカンドやバリトンもパート内部が入りのタイミングや音の取り方が乱れており、非常に不快な歌声だった。
 しかしそんなことはもはやたいしたことではない。この曲は16世紀に作られた曲である。一番音の高いパートが一番目立だたせればそれでいいような曲ではない。作曲家お抱えの合唱団という、他の合唱団ではなかなかない幸運な境遇であるにもかかわらず、選択した曲の様式を理解して歌うことが出来なかったのが非常に残念であった。もちろん曲の持つ様式感を否定し、新しい解釈を試みたのであればそれは意欲的で素晴らしいことであるが、今回の彼らの演奏ではそのようなことは微塵も感じなかった。以前この合唱団の演奏会でFelix Mendelssohn Bartholdy作曲のBeati mortuiを聴いたことがある。上品かつ内に秘めた力を感じる名演であった。期待していただけに非常に残念だった。
 2曲目も課題曲同様に終始むちゃくちゃな演奏だった。しかし時よりいい音が鳴るときもあった。
 合唱祭でも演奏していた3曲目は非常に軽快で聴いていてたのしい演奏であった。プレイアード本来の良さが凝縮されていたと思う。この曲だけ歌ったのであれば間違いなく全国大会に行けたことだろう。カウンターテナーが秀逸だったが、ラストで失敗してしまったのが今回のこの合唱を象徴しているように思う。

21 Chor OBANDES

埼玉栄高等学校コーラス部の元顧問、蓮沼喜文氏が指揮を振る。新宿区を中心に活動しているようだ。
 蓮沼氏の関わる合唱団には以下のような団体がある。
Chor OBANDES(東京・混声)
コール・ドルチェ(埼玉・女声)
Wings(埼玉・混声)
Wings Jr.(埼玉・児童合唱)

 そんなことはさておき、この合唱団はバスが非常に秀逸であった。
混声合唱を支えるバスパート。バスが安定しているだけで音楽の表現力は多彩になる。
良くないところとしては、まずパート構成に難がある。男声に対して女声が非常に少ない。こうなるとどうしても男声、特にテノールは抑え気味に歌わねばならず、このことが音楽に良くない影響してしまった可能性は否定できない。
 またどのパートも練習不足なのか、音の入りのタイミングがずれたり、ピッチが不安定になることが多かった。
 しかし、一人ひとりの歌唱力はある合唱団だ。さらに蓮沼先生お得意の宗教曲が彼らの音楽観にマッチしてしたように感じた。個人的には今回の演奏が金賞に値するとは思わないが、今後の活躍には多分に期待が持てる。

23 Poeta-amica http://poeta2013.web.fc2.com/

まったく期待していなかった謎の合唱団。東工大の講堂で練習しているようなのでもしかするとクライネスの派生団体なのかもしれないが詳細は全く不明だ。指揮者の服はヨレヨレだったし、合唱団の並び方も良くない。
 しかし、演奏を聴いて驚いた。全くもって雑だがパワー溢れる演奏。コンクールという基準では無価値な演奏なのだが、それでもこのパワフルな合唱団は輝いていたように思う。
 良かった点はバスパートでとても声の通る歌い手がいたこと。こんな声を聴けただけでも良かったと思う。
 良くなかった点は指揮者の指揮がヘタクソだったこと。歌ともピアノとも合っていない指揮は見ていて非常に残念だ。しかし、そんな指揮でも音楽を創っていくことができるのがこの合唱団だ。指揮者の上野氏の指導が優れているのか、個々の団員が優れているのかはわからない。しかし上野氏に団を纏める力があるのは確かなようだ。
 今後に期待したい合唱団だ。現状のままではこのコンクールで聴いたような演奏水準に留まってしまいそうな気がしているが、そんな私の浅はかな予想を裏切る合唱団に化けて欲しい。

大学職場一般部門 混声合唱の部

02  Combinir di Coristahttp://combinir-di-corista.com/

いつの間にか東京を、いや日本を代表する合唱団として認知されつつある実力は合唱団。堅苦しい演奏が多いので私はあまり好きではないが、中規模の合唱団の中ではどう考えても国内で最も実力のある合唱団の一つだ。
 今大会で一番期待していた合唱団であったが、率直に言ってイマイチな演奏だった。表現力豊かで安定感のある男声に対し、女声、特にソプラノが音楽づくりに荷担できていない印象。金賞1位であることに異論はない。しかし、この演奏を聴くために投資をしたいかといわれれば、ノーと答えるであろう。出してせいぜい500円だ。課題は団員ら自身が認識していると思われるのでそれ以上のことは述べない。

 私はこの合唱団にとってコンクールというのは一つの演奏手段であると考えている。コンクールの順位を上げるため、あるいは全国制覇をすることなどこの合唱団にとって全く無意味なことだ。コンビニは合唱の魅力はそんなものではないんだと教えてくれる数少ない合唱団の一つである。東京支部代表としてコンクールのランク付けを超越した演奏をしてくれることを期待するのみである。

03  アンサンブル・フェリーチェ www.mkawasaki.net/
 平成21年に結成された比較的新しい合唱団。豊田(とよだ・東京都)を活動拠点としている。
比較的高齢な方が多い合唱団という印象。奇しくもCombinir di Coristaと自由曲が被ってしまった。全国大会の常連合唱団の次の演奏で、さらに同曲を歌うというかなり不利な条件での演奏であった。
 しかし以外にも悪い演奏ではなかったように感じた。学生とは異なり、ごく限られた時間しかない中で自分たちのやりたいこと、やるべきことをしっかりとやってきているように感じられた。中年~高齢の方が多い合唱団は、若い人が多い合唱団とはまた異なった意味で雑な演奏をする(声の良さだけで歌おうとする)ことが多いが、この合唱団の演奏は大変叮嚀であった。もちろんそれが芸術的であるかといえばまた話は別だが、それを語るにはまず何をもって芸術であるかを考えねばならない。
 選曲も合唱団の特性と合っており好感を持てる。結果は4位であったが私は大久保混声よりアンサンブル・フェリーチェの方がより良い演奏だったと思う。
 

05 あい混声合唱団 http://www.ai-kon.info/

創団したころの相澤氏の繊細なイメージは払拭され、大物感が醸し出されているような気がした。
相澤氏は自身のプロモーションが上手い印象だが、彼の曲が受け入れられたのは純粋に楽曲の質が良いたからだ。
 さて、本大会での一番の謎審査であったのはあい混の代表選出である。男声はともかくとして、女声はコンクールに出場するような水準にすら至っていない。課題曲では音程が下がり気味で、聴くに堪えなかった。自由曲1曲目も同様だ。なぜピアノ付きの選曲をしなかったのであろう。
 自由曲2曲目の三善晃「生きる」では、やっとピアノパートが登場したので音程は安定するかなと思ったのだが、あい混声合唱団はこの難曲に飲み込まれてしまった。「生きる」は学生、社会人を問わず演奏機会の多い曲だ。高校生がコンクールで歌うことも多く、NHK全国学校音楽コンクールでは何度か全国コンクールで演奏されている。谷川俊太郎の詩「生きる」は中学校の国語教科書にも取り上げられる作品であり、三善晃の作曲した同曲は三善作品の中でも愛されている曲であるといえる。あい混の「生きる」は、指揮者とピアノ、合唱団のそれぞれの連帯がバラバラに引きちぎられてしまっていた。表現がどうこうといった高尚な話でもなければ、ピッチの微妙なさじ加減等の技術的な話でもなく、そもそもの音程や、リズム、ブレスなど全てがむちゃくちゃであった。岡本太郎的な芸術だと言い張るのであればこれも悪くないのかもしれないが。
 どうしてこうした演奏になってしまったのかは解らない。合唱団が指揮者の指示に反して勝手に進み始めたのかもしれないし、指揮者ができもしないことを指示したのかもしれない。
 私は音楽家ではないし、部外者なので詳しいことは解らない。しかし今大会でのあい混声合唱団の演奏は、音楽的には全くの無価値であることを、当事者はよく理解して欲しい。
 演奏が終わったあとのピアニストの表情は大変曇っていた。今回幸運なことに再度演奏をする機械を与えられたのだから、全国大会では、聴衆のために、日本の合唱会のために、そして彼/彼女ら自身のために、いい演奏をして欲しい次第である。
 

06 大久保混声合唱団 http://www.okubomixedchoir.jp/

東京都といえば大久保混声合唱団、昔はそんな時代もあった。
 今回の演奏では課題曲、自由曲とともに私の嫌いな粗雑な演奏であった。叫ぶことは誰だって出来る。大久保混声の秘める力はそんなものではないはずだ。

09 CANTUS ANIMAE http://www.cantus-animae.net/

シードを取ると都大会ではサボりがちな演奏をする合唱団。しかし本気を出したときの実力は凄い。 それが音楽的に良いことなのかは私には解らないが、私にはそういう印象の合唱団である。
 誤解を生みそうな表現なので補足しておくが、この合唱団はかなり精力的に活動をしている。そのためシード権のある大会はこの合唱団にとって通過儀礼でしかなく、そちらに時間を割くくらいならその前後の演奏会のために時間を割く、そういうスタンスで演奏活動をしているのだと思う。現に26年8月末に行われたThe Premiere Vol.3では非常に濃厚な演奏を楽しませてくれたし、都大会の後にも演奏会が控えている。
 課題曲はかなり間に合っていない感じだった。特に女声は不安定であった。自由曲はかなり難度の高い曲であった。
 もはや歌い手よりそれを評価する審査員の方が大変なんじゃないかと思うが、ともあれ全国大会の活躍を期待するばかりである。

大学職場一般部門 同声合唱の部

03 杉並学院・菊華女声合唱団

菊華アンサンブルと杉並学院高等学校合唱部の合同合唱団。
 課題曲は高等学校部門Aグループでの杉並学院高等学校合唱部と同様に、非常に不安定な演奏であった。フォーレのこの曲は譜面よりはるかに難曲であるようだ。多くの合唱団と同じように、この合唱団も上声部と下声部の入れ替わりに際しメゾパートがどちらも歌うことで自然につながるように工夫したいた。
 非常にメロディックな曲であるが、この合唱団の演奏は心地よいところに音が入らない、聴いていてムズムズする演奏だった。 また、ルネサンスの曲のように無表情なまま最後まで演奏していたのもフォーレの作風を捉え切れていないように感じた。
 自由曲は杉並学院が最近ハマっていると思われるミニマルミュージックの如き曲だ。同じ音型を執拗に繰り返す。この繰り返しの中で少しずつ音楽が表情づけられていく。日本の合唱団の中でも比較的正確な音程で歌い続けることができる渕上氏の合唱団には適しているといえる。
 演奏の水準はかなり高いところにあったように感じた。しかし歌い出すタイミングや小さなピッチのずれが積み重なったことで、芸術表現としては弱々しいものがあった。

04 創価学会しなの合唱団 http://www.shinano-choir.org/

長野県…ではなく東京都の合唱団。創価学会の本部がある東京・信濃町に由来していると思われる。宗教団体を母体としている合唱団のため、詳細は一切不明だ。
 私はこの合唱団が好きだ。こういうとかなり誤解されてしまうのだが、思想信条は別として、 幅広い年代の人間が集まり、一つの目標に向かって練習に励む合唱団は他にあまりない。
  課題曲・自由曲とも演奏水準は高かった。精緻なアンサンブルとはほど遠いが、集団芸術としては十分に聴き応えがある。純粋な形式における時間芸術というよりは、スポーツとしての芸術に近い。
 所謂グリークラブ的な発声で、人数でカバーしているものの個々人の表現力は乏しい。だた、表現に関してはこの人数ではある程度は致し方ないことと思われる。ただ大人数で歌うことによりがなったりせずに歌っているのが好印象だ。
 全曲を通じて、音楽の表現が全てピアニスト任せになってしまっており、芸術の表現者としての彼らの意義・立ち位置が不明であるが、合唱コンクールが指揮者・楽器の演奏者・合唱団全てを合わせたものを評価するというのであれば何ら問題ないと思う。ただこの演奏が全国大会でもっとアンサンブルに重きを置いた演奏と比べたときに評価に値するのかといえと、なかなか微妙なものであるが。
 杉並学院・菊華女声と比べたときに、合唱芸術としての表現力はあちらの方が格段に上であったが、表現をするに当たっての前提条件である楽譜に書かれていることを再現する能力は創価学会しなの合唱団の方が上であった。全く指向の異なる2団体を評価せねばならない審査員はさぞかし大変であったと思う。しかし課題曲を、純粋に合唱団に与えられた課題として捉えた場合、創価学会しなの合唱団がより課題を適切に処理しており、今大会での審査結果は至って適切であったと思う。
 ちなみに私は創価学会員ではない。

 全体を通じて感じたこと

  今大会は残念ながらあまりいい演奏に恵まれなかった。
 理由はいろいろ有ると思うが、やはり一番は課題曲に対して適切なアプローチができていないことだと思う。課題曲がどのような意図をもって出題されているのかを考え、それに対する解答を提出する、このコンクールには必須の作業である。課題曲が求めていることを超え、新たな解釈を提示しようという意欲的な演奏であれば大歓迎であるが、ほぼ全ての合唱団はやらされているから歌っているに過ぎない。
 もちろん何をもって課題曲の意図が達成できたのかという根本的な問は、私のような素人にはとうてい理解できるものではないかもしれないし、それは最終的には個々の聴者、奏者に委ねらねるものなのかもしれない。

 例えば今回の課題曲の作曲者である森田氏は

「鐘」の中に、私が痛みや刹那を込めたことを、 CANTUS ANIMAEの雨森文也先生に あれ程までに、理解されてしまったことには驚きました。 私が誰よりも先に見た曲の輪郭とは全く違いましたが、曲は私の元を離れ、演奏者のみなさんのおかげで、新しい輪郭になるのも、またありがたい。

Twitter上で述べている。、しかし私にはCAの演奏がそこまで良いものであるようには感じられなかった。

  だからといって必ずしも私の耳が間違っており作曲者の評価が普遍的な評価であるというわけではないと私は思う。私たち音楽に関わる者は、その全員が、それぞれの立場でそれぞれの観点を持っている。他者と意見がぶつかることも少なくないだろう。
 しかし耳障りのいい褒め言葉ばかりではなく、批判的な意見も受け止め、真摯に音楽に向き合うことで、良い音楽づくりをして欲しいと願っている。

 いずれにせよ、どの合唱団も、もっと課題曲に意欲的に取り組んで、自分たちの音楽の骨肉として欲しい。

 【所感】第70回東京都合唱コンクール 高等学校部門

 

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